面接を受けた時相手はどう思っていたか
私はが面接を受けたという話はもうだいぶ昔の話になる。最後に面接を受けたのがひとつ前の寅年。そう、もう12年も前だ。その当時は東京にいたので、受かる受からないは別として、とにかく仕事を早く見つけようという意欲はあった。一時期職業訓練を受けようと思った時期もあったが、その時以外は、仕事も探さず遊んでいようという気持ちはなく、常に焦りと緊張感があった。
親から家賃や生活費を仕送りしてもらっているから、とにかく早く見つけなければと思った。家賃は5万3千円だったと思うから都心では安いほうだと思うが、それでも普通に考えれば安くはない。生活費も節約はしていたが、裕福ではない親からしてみれば、かなりの額を毎月私に仕送りしていたと思う。だから悠長にしていられなかったし、見つからなければ、早いうちに引き上げようと思った。それで結局その通りになった。
実は最初から予感はあった。仕事は見つからないだろうなという予感が。それで一年もしないうちに実家に戻ることになるだろうと思っていた。確信があった。東京で生活するより前の21世紀に入ってすぐの頃、私は埼玉にいた。埼玉だったが仕事はほとんど都内で探した。最寄り駅の次の駅は都内の駅だったからだ。埼玉に引っ越したときはまだ20歳になったばかり、若かった。埼玉には3年近くいたが、バイトに落ちてばかりだった。埼玉に住み始めて2年になるくらいでやっと採用されたと思ったら、一日目でクビ(詳細は以前の記事で書いている。長くなるのでここでは割愛する)そして次に採用されたところは10日くらいで、作業が遅いという理由でクビ。とにかく基本的には面接はほとんど落とされた。
そういうバイトに受からない経験があったから、東京に住んでいるときも、まあ見つけることはできないだろうなと思っていた。年齢的にも埼玉にいるときの方が若かったし、学歴を高卒に誤魔化していた。二十代後半になっていて、しかも正直に学歴を中卒と履歴書に書くようにしたので以前よりも当然採用に不利になっている。埼玉にいた時は3年いたこともあってか、一応採用されたこともあった。だが東京にいた頃は採用されることは一度もなかった。なぜだったのだろうか。私は普通のアルバイトに応募しただけだったのに。
私を不採用にしたのは会社によって理由は様々だろう。理由は基本的にわからない。後になって考えてみて、私が落とされた一番の原因だと思うのは、外見だと思う。面接官からしてみれば、私の外見や所作が健常者に見えなかったのだろう。当時はそんなこと考えもしなかったが、私は自分で思っている以上に他人からは普通に見えないようだ。
私はおそらく知的障害者なのだろう。障害の程度はわからないが、知的障害者として生きていった方が生きやすいだろう。もう自分は知的障害者でいい。だがそれは自分で思っているだけではなくて、医者に診断してもらわなくてはならない。そして障害者手帳が必要になる。
だが残念ながら精神科に行くことは何気にハードルが高い。私は一年前にブログで言った。「精神科に行くことを検討しています」と。だがそれから行けてはいない。私は自分の車を持っていない。そもそもペーパーだから運転はできない。情けないことに親に精神科まで連れて行ってもらうしかない。だが親も仕事をしているし、休日に精神科に連れて行ってくれとは、なかなか言い出せない。行こうと思っている病院は、親の実家に近いから多分親は車で行けると思うが、車でなく自分一人で行ったら、タクシーじゃないと行けないところだと思う。
一回診てもらっただけで診断書をもらえるのかもわからない。何回か通う必要があるかもしれない。
とにかく田舎で引きこもっていると、何かと不便である。環境を変えたいが金がない。
今後私は面接を受けることがあるだろうか。もちろん障害者雇用のところだ。とにかく実家を出なければ何も始まらないのだが、それは非常に困難なことである。
公園にいる
今私は公園のベンチに座っている。時間帯は夜なのだろうか、暗い。だが真っ暗ではなく、うっすら明るさがある。早朝なのだろうか?夕暮れなのだろうか?わからない今何時頃なのかわからない。自分がなんで今公園にいるのかわからない。いつからいるのかわからない。
公園には自分以外誰もいない。人の声も聞こえない。動物の姿もない。何もない。静かだ。
とりあえず、この場から離れよう・・・・・・あれ、なんか動けないぞ。立ち上がれない。おかしいな、どうしよう。あれ、なんか声も出せない。
私は、口を大きく開けたまま、心の中で、あああああああああああと言い続けたが、声が出ることはなかった。
おかしい、やばい、どうしよう、困った。いったいこれは、なんだ・・・なんだ・・・
そうか!私は死んでるんだ!死ねたんだ!良かった。良かった。良かった。良かった。
私は死んだ。死んだことはわかったから、目を瞑ろう。動けないが、目を瞑ってじっとしていよう。
私は目覚めた。ここは・・・私の部屋だ。やっぱり、夢だったか。暗闇の公園にいる夢だった。夢の中で金縛りにもかかっていた。あんな気味の悪いところにいて、死ねて良かったと思える夢の中の自分は変な奴だなと思った。
そうか、私は生きていたのか。そう簡単に死ねたら苦労はないな。仕方がない、昨日見つけたアルバイトに応募の電話でもするか。
プルルルルルル「はい、たぬきパンです」応募しようとしているパン工場の人が電話に出た。
「あのー、バイトワークを見てお電話しました。まだ募集はしていますでしょうか」
「公園に行ってください」
「はい?」
「あの公園に行ってください」
頭が混乱した。なんだこれは、まだここは夢の中か?私はまだ夢から目覚めてないのか?明らかに電話の相手の言っていることは変だぞ。夢じゃなきゃ説明がつかない。
「あの公園とは、暗闇の中で私がベンチに座っていた公園のことでしょうか?」
「・・・・・・そうです、行ってください、その公園に」
「あのー、バイトの面接を受けたいんですけど?」もちろんもう面接なんか受けるつもりはないが、どんな反応するか気になって聞いてみた。
「公園に早く行ってください」
なんだよ、最初たぬきパンですって、言ったのは何だったんだよ。私はこれ以上話す気がなくなり電話を切った。
私はしばらく考え込んでいた。今日はもう違う仕事を探す気にもなれない。今日はこれからどうしようか。やはりあの公園のことが気になっていた。あの公園、知っている公園に似ていた。私が子供の頃によく遊んだ公園だ。小学校に行くときの通学路にあった。今は全然あの辺は通らないので、二十年以上あそこには行っていないが、あの公園にかなり似ていた気がする。
気になる・・・やはり行ってみるか。
外を出てみると、車の音や、鳥の鳴き声はかすかに聞こえるが、なにかどことなく、異様な雰囲気を感じる。やはりここはまだ夢の中の世界なのだろうか。とにかく向かおう。
公園まではアパートから徒歩で15分くらいの距離なので、私は徒歩で向かった。
当然ながら町には人の姿もある。やっぱり私の思い凄しか、私がいるのは夢ではなく、現実の世界で間違いないのか、などとそのようなことを考えてながら、町を見渡し歩いていてると、思ったよりも早く到着できたようだ。例のあの公園に。
うーん確かに夢で見た公園はここにかなり似ている。私は夢の中で自分が座っていたベンチに誰かが寝ていることにすぐに気づいた。ホームレスが寝ていた。
私はホームレスに近づき、顔を見ようとした。なぜそのような行動をとったのか自分でもよくわからなかった。
顔を見ると日焼けなのか汚れているのかよくわかない顔色だった。髭も伸びっぱなしだった。顔をよく見ているとあることに気づいた。「これは私か?」
「うーん、あれ?今何時だ?」
「やっと起きたか?寝すぎだよゲンさん。もう11時半だよ」
私はあの公園のベンチに寝ていた。だがさっき(?)とは様子が違っていた。公園には数人のホームレスがいて、生活するためのテントや調理道具などが置かれていた。自分の服装もホームレスのようにボロボロで汚れたものを着ていた。
そうか、私はホームレスだったのか。さっき見たのは、ホームレスになった自分自身の姿だったんだ。
「おいみんな、聞いてくれよ」ホームレスの一人が外出から帰ってきたようだ。
「どうしたんだ?ヒロ坊」
「ヤスキチさん、死んでたよ!アパートでよ、一人で死んでるのを発見されたみたいなんだよ!」
「ええ!ほんとか!先月から姿を見せねえと思ったら、ヤスキチさん、アパート借りれたんだな」
「ああ、貸してくれる人がいたらしい。だけどヤスキチさん、孤独死だったらしい。身寄りもなくて、引き取ってくれる人も誰もいなくて、葬式は静かに行われたらしい」
ヤスキチさんか、どこかで聞いたことのあるような名前だな。「なあ、ヤスキチさんて、誰だっけ?」
「ゲンさん、ヤスキチさんを忘れたのかよ。あんたらよく話してたじゃねえか。パン工場の社長だったヤスキチさんだよ」
「そのパン工場って、たぬきパンってとこか?」
「ああ、そうそう、たぬきパンだったよ」
あの電話の相手はヤスキチだったのだろうか?もう一つ気になることがあり、それを仲間のホームレスに訊ねることにした。
「何で俺、ゲンさんって呼ばれてるんだ?」
「え?それはゲンさんが自分でゲンだって名乗ったからだろ?」
「俺、ゲンって名前だっけ?覚えてないんだが」
「いや、俺が知るわけねえだろwそもそも、俺たちホームレスは、必ずしもみんなが本名を名乗るわけじゃねえしな。もしかしたら本名じゃねえやつが多いかもしれねえ。だから俺はあんたの本名までは知らねえ」
「そうか。ちなみにあんた名前は?」
「ひでぇな。俺の名前も忘れちまったのか。それとも俺の本名を知りたいのか?それにしてもゲンさん、最近物忘れがひでぇんじゃねえか?俺の名前、忘れたんなら教えてやるよ、俺の名前はな・・・・・・」
私は、買い出しに行ってくると言って、公園を離れた。もうあそこには戻ることはないだろう。今私は行く当てもなく歩いている。
私はだんだん思い出してきた。自分が何者なのか。私は、
私は、たぬきパンの元社長、ヤスキチだった。私がヤスキチだったんだ。私のせいで工場は潰れた。私は工場が潰れたあと、離婚し一人になり、いくつか職に就いたが上手くいかず、ホームレスになってしまっていた。運よくアパートを借りれ、生活保護を貰えたと思った矢先、持病が悪化し、私は誰にも看取られることもなく、一人でこの世を去った。
私はもう死んでいたんだな。私はさっきから、だんだんと自分の体が透明になっていることに気づいていた。自分の体が薄くなって消えそうなのはわかっていても、私は歩みを止めなかった。
私の体はほとんど見えなくなっていた。もうそろそろ完全に消えてなくなる。さすが次に目覚めた時はあの世だろうな。そうであってほしい。
難しいことは書けない
何か書きたい題材を見つけて、タイトルをつけて、記事を書き始めるわけですが、最初の一行、二行書いた段階で、その先をどういうふうに文章を書き進めていいかわからなくなり、とりあえず下書きを保存しますが、その後続きを書くことはありません。こういうことが何度もあります。
何か伝えたいことがあって、書き始めるのですが、どういうふうに書いていいかわからず、頭が混乱するのです。
今書いている文章でさえ、書いていてわけがわからなくなっています。
これ以上こんなことを書いていても仕方がないので、話題を変えます。今日は金曜日です。少し前までは、金曜の夜にドラえもんとクレヨンしんちゃんをやっていましたが、確か土曜日の夕方に移動したみたいですね。コナンも月曜夜7時から土曜の夕方に移動しています。アニメをゴールデンタイムに放送していることが本当になくってしまいましたねぇ。テレ東だけは今も夜にアニメをやっているみたいです。(僕がいる地域では映らないです)
僕が子供の頃はゴールデンタイムによくアニメをやっていましたよ。
障害者手帳は選択肢の一つ
最近、障害者手帳をもらうことを考えています。年齢的なことや経歴的なことを考えると、アルバイトすら採用されないと思うので、障害者雇用で働けるようにするためです。障害者枠でも仕事が見つからなかった場合、手帳があるので、生活保護をもらうことができます。
地元には心療内科はないようですが、精神科は三件あるようです。
A病院 家から近すぎて行けない。
B病院 グーグルのレビューで良くないことが書かれている。
C病院 グーグルのレビューなし
家の近くの病院に行くのは勇気がいるし、レビューで悪いことが書かれている病院にも行く気がしないので、行くのだったら、C病院しか行くしかありません。そのC病院も情報がないので、行っても大丈夫だろうかという感じです。
とにかく、診断書をもらえれば良いわけですが、グレーゾーンと診断される可能性も考えられます。
障害者雇用といっても、仕事は少ないでしょうし、それ以前に、引っ越ししなければ、仕事を探せません。
地元の病院に行くかわかりませんが、なんとか来月までには行動に移したいと思います。
没になる記事が多い
記事を途中まで書いていて、これは公開しない方がいいと判断して記事を没にすることが多い。八割くらい書いて没にすることや、記事を完全に書き終えたが公開しないものもある。
最近は小説をすべて書き終えたが公開するかどうかためらって、結局公開はやめた方がいいなと判断したことがあった。
最初から下書きのまま人には見せないつもりで記事を書くことはあんまりないが、結果的に非公開になることが多い。
相変わらず、一日のアクセスが0とか1とかが多い。ここは続けて一年経過したが、不人気なブログのアクセス数はこんなものなのだろうか。それともこのブログが異常なのだろうか。
こんなに少ないと違うところでやれば良かったかもと後悔している。どこのブログサービスでやってもたいして変わらないかもしれないが、とにかくネットの評判はあまりあてにしない方がいいということだ。
あまりにもアクセスが少ないと、なんか無性に腹が立ってくる。腹が立っていてネタはないけど、書く気はあるというのが今の心境だ。ゲームをやっていて、負ければ負けるほど意地になって続けるという心境に近い。冷静さはなくなる。
もうこの記事はここで終わらすか。ではみなさんさようなら。
無心でいるとき声が聞こえる
夜、薄明かりの中寝ながら何かを考えている。そのときこれからどうしようとか、現実的なことはあまり考えない。目は開けていて、夜8時前でも外は少し明るいなと思いながら、よくわからないことを思い浮かべている。起きて何かやるよりも、薄明かりの中じっとしているのが今は良いのだ。
これから真夏の季節になると、じっとしているのも苦痛になってくる。今は扇風機をつけなくても、夜窓を開けていればそこまで暑くないが、これからは熱帯夜になる。暑すぎるとじっとして考え事をすることは、あまりしないかもしれない。
夢を見れるのが良いが、夢はいつも見られるわけではない。見れたとしても不快な夢を見ることがある。だから眠れなくても目を瞑った状態で意味不明なことを思い浮かべる。あるいはなにも考えない。無心でいる。無心のとき、声が聞こえることがある。
情報あるよ
雪村さん
しょうがない
食べ物(植物?)を植える、育てる、覚悟で
食べ終わったら
大丈夫
アイスクリーム
かわいそうだね
愛してる
バイバイ
梅干しが
今帰ってきたとこ
そうか、損はさせないのか
このような声が聞こえた。いったい何の意味があるのか、考えたがよくわからなかった。
じっとしていても退屈と思わなくなった。今はパソコンやスマホを持っているという心の余裕があるからだろうか。じっとしているのに飽きたらパソコンやスマホでなにかやればいい。本当に何もなければストレスが溜まるだけで心の余裕は持てない。田舎でパソコンがない時期を長く過ごした。ガラケーでネットを見ているとき、PCサイトがまともに表示されずにイライラしたものだ。パソコンを持っていればなーと何度も思った。
今日から7月に入った。昨日おとといはかなり暑かったが、今日はそこまで暑くない。最近はゲームをやることが多く、仮眠をとることは少なくなった。
内容がないが投稿しようと思う。内容がない、そんな記事が今後も多くなるだろう。だがこのブログは、もうこんな感じでいいだろうと思っている。
爺さんに適職を訊く
忘れずに見た夢について書いておこうと思う。まず今日(6/19)の夜中に見たのは占い師っぽい爺さんに「適職はなんですか?教えてください」と何度か訊ねている夢だ。占い師は「適職とかそういうことじゃなくて・・・」みたいなことを言っていた。この夢にはどういう意味が込められていたのだろうか。私には向いている仕事はないという意味なのか、適職が何なのかというのはそこまで重要な問題ではないという意味なのか。しかし見た夢に必ずしも深い意味があるとは限らないし、むしろ特に何の意味もない場合の方が多い。
あと今日の朝か昼に見た夢で覚えているのは、都会に来て何かしようとしている夢だ。観光とかではなく、何か目的があって都会に来ているようだった。実際の東京の街並みじゃなかったが、夢の中では東京のような位置づけだったと思う。多分住むところを探そうとしていたのだろう。どんな街並みだったかあまり覚えていないが、街を行き交う人の数が多かった。もしかしたら所持金は1万5千円しか持っていないんじゃないかと思って、財布の中を確認するとことで目が覚めたような気がする。